肺がんから5年、乳がんから10年

肺がんから5年、乳がんから10年


写真は、浜松の自宅から見た朝焼けの空です。

ここに戻ってきた2003年、夫を食道がんで失った私はその先どうやって生きていったらよいのかわからない状態でした。

起きるとすぐに窓を開け、手を合わせて天に祈り、日が昇る様子をカメラに収める日々―。
そうすることで、少しずつ癒され、元気を取り戻していったような気がします。


私と、がんおよび婦人科系の病気との付き合いを年表にしてみますね。

■1989年 子宮筋腫手術
■1996年 夫の赴任に伴い米国LAへ
■2000年 8月、子宮摘出および左卵巣摘出手術を受ける
■2000年 8月、退院後すぐに左乳房にがんの疑い
■2000年 9月、マンモグラフィー、超音波検査のあと細胞針検査により1期のがん判明
■2000年 10月、ランペクトミー(温存法)にて手術。リンパ節転移なし
■2000年 12月~ 5週間に渡って放射線治療 同時期に右卵巣のう腫
■2001年 10月 夫、食べものがつかえるようになる。微熱、体調不良
■2001年 11月 検査の結果「食道がん」と診断。肝臓転移の疑い
■2001年 12月 急遽帰国。国立がんセンター東病院(千葉県柏市)入院
・食道がんⅣ期、肝臓転移(後に皮膚、骨への転移も判明)根治できず、余命半年(家族のみ)と言われる
・手術はできないため、放射線+化学療法にて治療
■2002年 1月 同病院にて乳がん検査の際、肺に疑悪性腫瘍見つかる
■2002年 6月 夫逝去。肺がんの手術を勧められるが断る
■2002年 10月 植松医師(ピンポイント照射)と奥野医師(血管内治療)にセカンドオピニオンを求める。原発性、初期。「手術をしなくても治る」という判断
・以後、植松医師(慶應病院)のもと経過観察
・帰国後開始した乳がんのホルモン治療、副作用が強いため止める
・右卵巣のう腫、7cm×5cmほどあったが漢方薬のみで温存
■2005年 9月 肺腫瘍が2cmを超えたため、ピンポイント照射にて治療(当時、治療を行っていなかった植松医師の紹介により、立川病院の石橋医師のもとへ。治療はまったく痛みも何も感じることなく9月5日から9日までの5日間で終了
・ブログ「明るいがん生活ピンポイント照射」をスタート
http://blogs.yahoo.co.jp/takutakunoma
■2008年4月10日NHKクローズアップ現代「がんに負けない。怖がらない」に、鎌田實医師(「がんばらない、あきらめない」の著者。諏訪病院院長)とともにゲストコメンテーターとして生出演 
■2009年の婦人科検査で、卵巣のう腫の自然退縮化を確認。当初の3分の1以下に。
■2010年9月で肺がん治療から5年、10月で乳がん治療から10年を迎える。無治療、経過観察中だが、今のところ異常なし。


以上が「病歴」です。
これからのブログでは、どうやって病気を克服していったのか、また家族や親しい人たちを病気で失った悲しみから抜け出していったのかを綴っていきたいと思います。

また、これまで相談に乗ってきた様々なケースについてもご紹介することで、皆さまのお役に立てたら嬉しく思います。





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